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オオカミ2〜デナリ国立公園

 2015-01-07
名称未設定_パノラマ1

晩秋のデナリ国立公園。
ツンドラの紅葉も終わり、山には雪が降りはじめていた。

その日、僕はひとりでツンドラの原野を歩いていた。
1週間程のバックパッキングの旅を終え、この国立公園で唯一の道路をめざしていた。
道路に出ればバスに乗ることができ、トイレやイス、テーブルなどの設備も、そして人もいるキャンプ場へ行くことができる。
たとえ国立公園内といえども単独でのバックパッキングはいつも緊張する。
そこは、クマのテリトリーでもあるからだ。
その緊張感からもうすぐ解放される。
そう思うとついつい歩くのも早くなってくる。

重いザックを担いでいる背中が汗ばんできたので、ちょっと休憩することにした。
そこは、背後に高い崖がそびえる谷間だった。
ザックを下ろし、背中をのばす。
空は真っ青な秋晴れだった。
晩秋の冷たい風がすぐに体を冷やしはじめたので、ジャケットを着ようとザックを開けたその時だ。

急にドッドッ、という足音が聞こえた。
顔を上げると、すぐ目の前にドールシープの雌があらわれた。
崖の向こうから走ってきたようだ。
彼女は僕の目の前で立ち止まった。
なぜか僕のことを気にかける様子もなく、後ろを振り返り、自分の走って来た方向を見ている。

僕はザックから引っ張り出しかけていたジャケットのさらに奥に手を突っ込み、彼女を驚かさないように、ゆっくりとカメラを取り出した。
すると、彼女の視線の方向の、崖の陰から子供のドールシープが走ってきた。
そして、その子羊を追って姿を現したのは、大きなオオカミだった。

母羊は子供が自分に追いつくとまた走りはじめた。
子羊は懸命に母親について行く。
あたりの空気が一瞬にしてピーンと張りつめた。
彼らはまったく鳴き声は発しなかった。
獲物を追うオオカミもだ。
ドッドッドッという彼らの足音以外に音はなく、とても静かだった。

親子羊は僕の背後の崖を駆け上り、急峻な岩場で立ち止まった。
ドールシープたちは岩場を自由に行き来する能力で外敵から身を守っているのだ。
オオカミはその岩場に登ることはできず、大回りして崖の上に登り、口惜しそうに上から親子羊を見下ろしていた。
ドールシープの親子はそんなオオカミを見上げている。
僕はあわててカメラを向け、シャッターを押した。
その直後にオオカミは姿を消した。
オオカミの姿が見えなくなっても、ドールシープの母子はその岩場から動こうとしない。

僕はしばらく呆然としていたが、またザックを背負って歩きはじめた。
同じように道路を目指して歩いてはいたが、ついさっきまで頭の中を占めていた快適なキャンプ場のことは忘れていた。
はじてめて見たオオカミのことで頭がいっぱいだった。
そして、野生動物たちの営みを思っていた。
ああやって、静かに、淡々と繰り返されている彼らの生の営みを思っていた。

そこにあるのは僕たち人間が生きている時間とは別の「時間」だ。
僕たち現代人は明日も明後日も、そして来年も生きているという前提のもとに毎日を暮らしている。
しかし、自然の中にあるのはもっと不確実な「時間」なのだ。

もし、あの崖がなければ、ドールシープの子はオオカミに捉えられていただろう。
もしかしたら、あのオオカミはしばらく狩りに成功していなかったのかもしれない。
巣穴に残した子オオカミたちに餌を与えることができず、子供が死んでしまったかもしれない。

彼ら野生動物たちにとっては明日さえも確実に存在する時間ではない。
数分後に死が訪れるかもしれないのだ。

僕はアラスカの原野に入るといつも漠然とした不安につきまとわれる。
どんなに美しい風景を目の前にしてもその不安は消えることはない。
それは、僕が「人間の時間」を離れて、自然の、不確実な時間の中に身を置いたからなのだ。

その自然の時間の存在を意識することは、とても大切なことだと思う。
「未来」という不確実なものを確実なものと仮定してしまうことから来る不幸が、現代社会にはたくさんあるからだ。
だからといって「未来」のためになにもしなくていいということではないけれど、
自然の時間に思いを馳せるということは、人間社会の「常識」でがんじがらめの僕たちをほんの少し解放してくれるように思う。
そして、そこから見えてくるものが、もしかしたら本来の人間らしさなのかもしれない。

あれから10年以上たった。
あのオオカミもドールシープの親子も生きてはいないだろう。
しかし、ドッドッドッという彼らの足音は、今でも僕の脳裏に焼き付いている。


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もしもクマがいなかったら・・・・〜フェアバンクス

 2014-03-06
IMGP4148.jpg

アラスカ州フェアバンクス。
今まで何度この街を訪れただろう。
北極圏を旅する時はいつもその様々な準備のためこの街に滞在した。

街自体は典型的なアメリカの田舎町で、郊外型のバカでかいショッピングセンターがあり、
ダウンタウン(中心街)は寂れていて、お世辞にも魅力的とは言えない。
でも、どこか他とは違う雰囲気がある。
街を取り囲んでいる森が極北の雰囲気を醸し出しているということもあるが、
なにより人がいい。
こんな現代アメリカでも、いかにも自然相手に暮らしているといった風体の人がけっこういるのだ。
身なりは決してきれいではないし、車なんてボロボロだ。
でも、話してみるとアラスカが好きで好きでたまらない、だから住んでいるんだ、という感じがひしひしと伝わってくる。
だからその自然に魅かれてやってくる旅人にも優しい。

旅人も様々な国からやってくる。
ドイツ、イタリア、ノルウエー、オーストラリア・・・。
彼らもまたアラスカの雄大な自然の中を旅したくてやってくるのだ。
だから会って話せばすぐに打ち解ける。

そして、そんな旅人の間で必ずと言っていいほど話題にのぼるのがクマのことだ。

クマに会ったらどうするか。
クマに会わないためにはどうするか。
クマは本当に人間を襲うのか。

などなど、話題はつきないし、結局正しい答えもない。
とにかく誰もがクマが怖くて、原野の旅を計画してはいるが、その不安を払拭できないでいる。

その時も、泊まっていた宿でまたその話題になった。
だいたい話しが尽きたところで、アメリカ人の男が僕をうながして宿の壁のところに連れて行った。
その壁にはクマの事故についての新聞記事の切り抜きが何枚か貼ってあった。
彼はその片隅に貼ってある1枚の紙を指差した。
見ると英文が書いてある。

If there wasn't a single bear in all of Alaska,
I could hike through the mountains with complete peace of mind.
I could camp without worry.
But what a dull place Alaska would be!
(もしアラスカにクマがいなければ、僕は安心して山々を歩くことができる。
なんの不安もなくキャンプすることができる。
しかし、そんなアラスカは、なんて退屈な場所なのだろう!)

それは、アラスカを撮り続けた写真家・星野道夫さんの文章の英訳だった。

確かにクマは怖いけれど、それはアラスカの自然が純粋であることの証。
だから人々を魅了しつづけている。

壁の文章を読んでから彼を見ると、彼はゆっくりとうなずいた。
誰もが同じ思いでアラスカの自然を見ているのだと思った。



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ホームページアップしました。

 2014-02-24
ホームページを作成しました。
今年度のスノーシューツアーやアラスカオーロラツアーもアップしています。
ぜひご覧ください!
http://kazuyaak.wix.com/camp-north

HP画像


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ある朝〜コユコック川

 2012-09-03
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その日の朝、いつものようにテントからはい出した。
すぐに周りに群がってくる蚊を追い払いながらふと下を見てぎょっとした。

泥の上に大きなクマの足跡。

そこはテントから5mも離れていなかった。
昨日この河原に上陸した時にはなかったはずだ。
カヤックを岸に着け、そこでキャンプするかどうか決める時、
まずはクマの足跡やフンがないかを確認する。
確かに昨日はなにもなかった。

だとすれば僕が寝ている間にクマがここを通って行ったということになる。
クマはほとんど足音をたてずに歩くという。
しかもこちらが寝てしまっていればこうして気づくこともないのだ。

急に怖くなった。
と同時に少し可笑しくなった

そのクマは僕のテントが目に入っていたはずだ。
なんだろう、と思って近づいてきたのだろうか?
テントの中で僕が寝返ったのか、なにか音がして、驚いてそのまま通過してしまったのかもしれない。

クマは基本的に好んで人を襲うことはないと思っている
今まで出会ったクマのほとんどが、こちらの姿を見ると逃げて行ったからだ。
ただ、時々そうではない事故を耳にする。
クマにもいろいろな個性があり、状況によってそれも変わるということなのだろう。

僕のテントの前を通っていった奴がどんなクマだったのかはわからないけれど、
そいつは立ち止まり、いつものように鼻を高く上げ、においを嗅いだのだろう。
・・・・いつもと違うにおい。
そいつは人間のことを知っていたのだろうか。
それともはじめての人間だったのだろうか。
いずれにしてもそいつは確かに僕の存在を意識したはずだ
その時、クマは何を思ったのだろう。

原野での野生動物との遭遇はいつも緊張感に満ちている。
しかし、どこかユーモラスでもある。




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原野のキャンプ〜ノアタック川

 2012-07-26
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はじめてアラスカの原野でキャンプをしてから15年がたった。
あれからアラスカ各地を旅し、さまざまな場所で夜を明かした(といっても暗くはならないが)。
その多くは決して快適とは言えない幕営地だった。

湿地、泥地、極端な凸凹、強風、蚊の大群・・・・。

しかし、心に残る素晴らしいキャンプ地もいくつかあった。
荒涼とした原始自然の中の、まるでオアシスのような場所を見つけた時には飛び上がりたいくらいうれしくなる。
そのひとつがノアタック川を旅していた時に出会ったこのツンドラの平原だ。

その日はいくらカヤックをすすめてもよいキャンプ地に出会えなかった。
両岸には背丈くらいのヤナギが生い茂るヤブが続いている。
時々あらわれる砂地の河原は湿っていて、ここ数日のうちに川底だったことが伺えた。
そんな所にテントを張って、もし上流で大雨でも降ろうものならたちまち増水しテントごと流されてしまうだろう。

数時間もカヤックの上にいていい加減嫌になってきていた。
仕方なく、ヤナギのブッシュの際に上陸し、ダメもとでヤナギをかき分け土手を登ってみた。
視点の低いカヤックから見上げると、土手の上までヤナギに覆われているように見えていたのだが、
そこには開けたツンドラの平原が広がっていた。

気持ちのいい風が通っていて、蚊が吹き飛ばされ快適だった。
川岸から近いとは言えないが、僕はここでキャンプをすることにした。
もう数日、こんな気持ちのいいキャンプ地に出会っていなかったからだ。

テントを張り、シュラフを草原の上に広げて日干しした。
草の上に寝転がるとツンドラの香ばしいにおいに包まれた。
こんな時、一瞬だけ、原野にいる不安を忘れることができる。

しかしいつまでもそうしていられないのがアラスカのキャンプ生活だ。
ふと、クマのことが心配になった。
まだテントの側に食料が置いてある。
クマは犬の10倍もの嗅覚があるとも言われている。
そのクマと遭遇しないためにも、テントの中には食料はもちろん、においのきついものは絶対に置いておいてはいけない。

「ベア缶」と僕たちが呼んでいる円筒型の硬化プラスチック製容器に食料は入れる。(画像参照)
これはにおいを漏らさないためではない。
たとえにおいに魅かれてクマが寄って来ても、その材質と形状のおかげで、
ぜったいにクマは中の食料を取ることができないのだ。
僕も1度経験があるが、人間の食べ物の味を覚えてしまったクマほど怖いものはない。

そして、ベア缶はテントから100m以上離れた風下に置いておく。
さらに、食事の支度をする場所は、そこからまた100m離すのだ。
嗅覚の世界に生きているクマたちがテントに近づかないようにするための方策だ。

僕はツンドラから起き上がり、テントの前に転がっていたベア缶を抱えて歩きはじめた。
今回の旅では、まだクマに出会っていなかった。
しかし、例え出会うことがなくても、アラスカのキャンプではいつもクマのことを意識している。
怖くないですか?と聞かれることがよくあるが、もちろん怖い。とても怖い。
しかし、その怖さは、僕たち人間が忘れてしまっている自然に対する謙虚さを思い出させてくれる。

アラスカの自然はクマが守っている。

僕は本気でそう思うことがある。




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